38話)
歩の書斎に行った。
「忙しい。」
の一点張りの彼に話をするのは、やはり難しかった。けれど、それだと真相はいつまでたっても謎なままだ。と
とうとう茉莉は口を開いた。
「どうして私が武雄さんが、いいだなんて思ったの?」
言ってから、この話をまず、すべきではなかったと思う。
歩の瞳がさらに、一気に鋭くなったからだ。
「自分で言ったじゃないか?お慕い申し上げています。って。」
グッと喉が詰まる。
言われて、そこで思い出した。
(そう言えば、確かに言った・・)
河田邸に、物を届けに出向いた時の事を。
ピアノを一緒に弾いた後に言った言葉だった。
『兄貴なんかより、俺と共に音を重ねる生活の方が、茉莉は幸せになれるよ。
・・・今なら間に合う。
茉莉は、兄貴の事、これっぽちも想っていなんだから・・。』
『私はお慕い申しあげておりますわよ。武雄さんの事を。』
「・・・・。」
本気で言ったわけではなかったので、すっかり失念していたのだ。
その言葉を、歩が重く受け止めていたなんて、意外だった。
次の言葉が出てこない。
(ダメよ。ここで負けちゃダメ・・。)
自分で叱咤激励して、口を開ける。
「武雄さんの事は、あの時も今も、何とも思っていないわ。」
「どうだかね〜。」
答えた歩の瞳は、あくまで冷たい。茉莉の言葉は、信じられないようだった。
「本当なの。信じて・・あっ、だから私に冷たく当たったの?
武雄さんの事を好きでいるのだと思って・・。」
「それだけじゃない。お前は俺を拒絶した。」
「いつしたのよ。」
「拒んだじゃないか。結婚式の夜。」
言われて、それこそ頭のなかに?マークが浮かび出す。
「そんなの知らない。
あの夜は、いつまでたっても、あなたが来ないから、先に眠ってしまったのだから。」
「確かに寝ていたね。」
「でしょ?」
「俺がキスすると、茉莉は起きたんだぜ。そして、言ったんだ。
触らないでって。」
「・・・寝ぼけていたと思う。・・私、そんな事言った覚えないし・・。」
「言い訳なら、何とでも言えるね。うつろだったからこそ、真実を言えたんじゃないかい? 武雄兄さんの方が良かったんだろう?
俺との結婚は、実はイヤで仕方なかったんだろう?」
歩の誤解は、とんでもないものだった。
すべてはそこから始まっていたのだ。
呆然となるも、そこで引き下がってはいられない。
「イヤじゃなかったわ。そりゃ、家と家とが決めた婚儀だったけれど・・。」
「だろう?俺も、妻になったからって、気持ちのない女を、無理矢理犯すなんて、とてもじゃないが、出来ないぜ。
というか、そんな女。願い下げだ。」
「犯すだなんて・・。
なぜ次の朝にでも言ってくれなかったの?
誤解はすぐにも解けたのに・・。私は歩さんとの結婚は、嬉しかったのよ。」
「今さら何を言っている。白々しいのもほどがある。」
「信じて・・マンションに住む真理は、私なの。
真理は、あなたを拒まないでしょ?
真理は、茉莉なの。一緒なの。あなたの事を愛しているのよ。」
必死に言いつのる茉莉に、
「真理はお前じゃない。真理は、全身で、俺を受け入れてくれるから。」
の、一刀両断だった。
歩の応えは、まるでマンションでの会話の逆転版だ。
「同一人物なのよ?」
「だから?」
「え?」
「だからどうなんだ。結婚する前、俺は君に言ったよ。
“素”のままの茉莉を見せてくれって。鎧をまとった茉莉じゃない。本当の君の姿を。
“素”のマリは、あそこに住んでいる真理だ。お前じゃない。」